遊びを忘れた子供達
第22号
(平成6年4月)
天道館管長 清水健二
あるドイツ人に、どうして日本の子は広場で遊ばないのですかと尋ねられたことがあった。かねがね私もそう思っていたが、本当に日本の子は公園や広場などの外で遊んでいない。
人はそれぞれ過去からすばらしい、また悲しい思い出を胸に秘め、未来への希望を胸一杯にふくらませて生きている。しかし、昨今の子供達は不幸である。詰め込み教育で親、いや世間の犠牲となっている。本人がうまれながらに偉大な才能を持ち合わせているかも知れないのだが・・・。子供のときには好きに動き回り、大いに遊ぶ中で色々な体験をさせなければならない。その体験を積み重ねることによって知恵がつき、神経の反射作用がよくなって本来もっている才能が伸びていくのである。しかし今日の詰め込み式教育は子供達を無神経な方向へと押しやっている。遊び盛りの子供にチャンスを与えないことが昨今の教育のように思う。
ドイツを始め、ヨーロッパを訪れるたびによく目にする風景は、公園で遊ぶ子供達の姿であった。また、休日に郊外で家族連れやグループで遊ぶ少年少女達の姿であった。ヨーロッパの町はちょっと街並みをはずれると自然の野や森が目の前に広がる。人々はその自然を一生懸命残そうと努力しているようだ。都市化の行き着く先に不安を感じ、あるいは自然を失うことの恐ろしさを彼らは既に悟り、自然の中で伸び伸びと子供を遊ばせることの重要性に気づいているのではないかと思う。
我が国でも、もっと自然環境を大切にし、豊かにしていき、自然に順応した教育をしなけれなならない。そうでないと、子供達が大人になったとき、人間として大切なものが欠けた「ヒト」となるような気がしてならない。その大切なものが欠けた「ヒト」の例としては、
◦ 回りの人に迷惑をかけていても何とも思わない
◦ 権利ばかり主張して義務を果たさない
◦ 一人では何も言えない・できないくせに集団になると悪いことをしでかす
など、いくつもあってまだ書き足りないくらいである。こうした「ヒト」の増加は世情不安につながりかねない。今世間をかき回しているある宗教集団のごときに振り回されないように強い意志とに肉体を鍛えておこうではないか。